4月 7, 2014 - 函館    港まちの記憶最終日 はコメントを受け付けていません

港まちの記憶最終日

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3月1日から昨日まで行われていた「港まちの記憶 其の弐」の最後のリレートークに行ってきました!やはり目玉はご覧の通り、明治15年の「函館市街から函館山方向」パノラマ写真です。現在の金森倉庫にある七財橋より若干手前付近から撮影したと思われます。
この写真は今から1年半ほど前にガラス原版として保存されているのが発見されました。当時、市立函館博物館の市制施行90周年記念企画展「写された幕末・明治の函館」(平成24年7月~9月)でお披露目されたときは感動そのものでございました。。。

この写真、実は誰が撮影したかは不明ですが、同じガラス原板として発見された明治25年に撮影されたとされる「函館俯瞰図」が日本を代表する写真師 田本研造が撮影していたことから、関係者か本人の指示のもと撮影されたと思われます。右足が凍傷で壊死したため高いところでの撮影は不可能ですから。

しかしまあ、いつ見てもすごい解像度でございます・・・これだけ引き延ばしてもぜんぜん粗くならない。もちろん当時は撮影機材が豊富ではありませんでしたが、人の影やブレ具合を見ると数秒露光させてここまで明るく撮影したのであろうと推測できます。

函館市中央図書館のデジタル資料館で閲覧できます!ぜひご覧ください。すごいよw

必見!!!

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ガラス原板の写真と同時期に作成された函館真景と比較すると、どの建物がどこに位置していたのか、明治15年当時の函館の人の生活感を感じ取ることができます!牛さんもいるしw 函館山はとんがっていたんですね~。このあと大火を繰り返していますが、たった一つだけ現存する建物が函館公園内にある資料庫だそうです。

私の前職の上司である星野さんから解説いただきました!

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青函連絡船記念館摩周丸の高橋さんからは青函連絡船総覧、歴代青函連絡船運航実績(全87隻の肖像あり)の概要をお話しいただきました。戦前と戦後の内地からの物資供給についてがとても興味深い内容でした。数日あるいは1日しか運航記録が残っていない船もたくさんあったんですね・・・

やはり函館は歴史が深いまちです。ただ深いという漠然としたものではなく、これだけたくさんの資料として証拠が残っていることはまちとしてものすごい価値なんだよな~といつも思うところです。こういった資料を見ているといつも思うのは、函館に住んでいた人だけではなく国も北海道を開拓するためにものすごいお金と期待をかけていたんだなということです。

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